ニンギョウがニンギョウ

ニンギョウがニンギョウ (講談社ノベルス)

ニンギョウがニンギョウ (講談社ノベルス)

函入り豪華装丁とはいえ、そのあまりの薄っぺらさに1,500円の価値はあるのかと誰もが不審に思う西尾維新の怪作。さすがに新刊では買えなかったものの、某所で拾えて読んでみたら、なかなかこれはこれでといった作品で吃驚。

映画を見に行くことになったのは妹が死んでしまったからだ。私は平素より視覚情報に関しては淡白を貫く主義なので、映画を見るのは実に五年振りのこととなり、妹が死んだのも、矢張り五年振りだった。回数を勘定すれば、共にこれが四回目である。映画を見るのは妹が死んだときだけと決めているのではなく、逆であり、妹が死んだからこそ、映画を見るのだ。そうはいってもしかしこうしょっちゅう死なれては私としても敵わない。日頃大きな口を叩いている友人達に合わせる顔がないというものだ。私には合計で二十三人の妹があるけれど、死ぬのはいつも、十七番目の妹だった。

あらすじからして意味不明なこの小説。西尾維新の他の作品とは明らかに違う作風でファンを戸惑わせたことしきり。しかし、僕はこれとよく似た匂いのする作品をどこかで読んだことがある。そこは、大学の文芸部の部誌の中であったり、文学部創作表現コースの課題であったり、そして彼らの卒業制作であったりした。もちろん、この『ニンギョウがニンギョウ』はそこらのワナビ未満の文学部生の作品とは仕上がりのレベルが格段に違う。しかし、根底に流れている青臭さは、彼らときっと同じなのだ。
西尾維新の瑞々しい(笑)感性を感じたいファンは、読んでみたらいかがでしょうか?